オジーとメガデス
人は16歳の頃に聴いた音楽を一生聴き続ける
人は16歳の頃に聴いた音楽を一生聴き続けるという。
10年前、Spotify無料ユーザーの広告で流れた音声CMの言葉が、今でも時たまふと脳裏によぎることがある。本当に?という猜疑心を拭いきれないけれど、この言葉を知ってから10年余経過した今になっても、僕は本当に心の底からリラックスしている時、僕が慰みに流す音楽は決まって思春期にヘビロテしたJ-POPかアニソンで、結局そういうことなんだろうなと、エビデンス不詳(研究者の論文でも未だ決定打には至っていない)なこの言葉をヒューリスティックな得心で噛みしめる。
1ヶ月前、オジー・オズボーンが死んだ。Xを開いた時、オジーの訃報が目に入った時、フェイクニュースかと思った。それぐらい、彼の死は真実味に欠けていた。コウモリをかっ喰らい、ヘヴィ・メタルの始祖ブラック・サバスのフロントマンであり、スラム街から成功を掴み取ったメタルの帝王でも死ぬんだと、当たり前の道理に気づくのに、それを理解するのに1日を要した。此岸のすべての憎悪/殺意を煮詰めたようなパフォーマンスをたった一人で発揮するメタルの帝王=オジー・オズボーンは不滅だと、僕は勝手にそう認識していたように思う。それぐらい、オジー・オズボーンの存在は異質だった。これまでずっと「神」のような、この世の理を超越した存在だと信じて疑わなかったオジーは、死を迎えたことで人間であることを証明した。
先週、親友から唐突にLINEが来た。「メガデス活動停止やって。最後のライブ絶対行きたいよな」 会社の昼休みに目にしたこの一文に、目眩がするほどのショックを受けた。メタリカ、メガデス、アンスラックス、アナイアレイター、ソドム、エクソダス、クリーター、ジューダス・プリースト、アイアンメイデン、ハロウィン…細分化が進み、群雄割拠するヘヴィ・メタルという混沌としたジャンル空間において「神」に等しい地位にあるベテランバンドたち。その中でもメガデスだけは特別だった。少なくとも僕にとっては特別なバンドだった。そのメガデスが活動を終えるという単純明快な事実が、親友からのLINEを開いて数日たっても受け入れられなかった。喉の奥に魚の小骨が引っかかったように、胸中で燻り続けていた。
「そうか…メガデスでも老いるんやな…」 そんな至極当然の事実を受けれるのに数日を要した。
タワーレコードの明快かつ簡素なキャッチコピー「No Music No Life」──目にするたびに、秀逸なコピーだとしみじみ思う。音楽な無ければ、人はどうやって生きていけばいいのだろう。もちろん世の中には音楽に救済も依存も求めないメンタル・タフネスな人たちが一定数存在するのだけど、少なくとも僕は音楽が無ければとっくに自害していると思う。
音楽って何なんだろうか。
オジーの訃報とメガデス活動休止の一報を聞いて、そのショックと向き合いながら僕が聴いていたのはカントリー・ミュージックとVaundyで、もうメガデスの楽曲を必要としていない自分に気がついて、それは10年前の過去の自分との訣別を物語っているような気がして、意味もなく凹んだ。
自意識の芽生えと共に音楽にのめり込み、これまでの人生で2度も音楽に命を救われた僕にとって、音楽とは東京タワーのように、「そこにあって当たり前」の存在であり、自身の心的態度が辿ってきた変遷でもあるのだと、2週間ばかりの時間を経て思い至った。
記憶を遡れば、常に音楽があった。 聴いているジャンルもバンドも年齢によって変遷したけれど、その変遷こそ、音楽と共存してきた僕の人生の軌跡であり、その変遷が今の僕を形づくっている。
名は体を表すというけれど、僕のハンドルネームはメタリカに由来している。命名したのは、メガデス解散の悲報をLINEしてきた親友なのだけど、僕はメタリカに命を救われたその時から、一生崇め続けると心に誓った。僕にとってメタリカは「好き」とか「推し」の次元を超えていて、崇拝/信仰する対象=神と同等なのだ。
そして、僕にとって「神」であるメタリカと引き合わせてくれた「使徒」こそ、唯一無二のメタルバンド「メガデス」だった。メガデスは僕にとって仲人だった。だからメガデスの活動休止を聞いた時、僕はこんなにショックを受けたんだな、と後日気がついた。
当時働いていたバーの常連さんに某新聞社の管理職の方がいた。くぐもった声で朴訥と喋る、プーさん みたいな容姿の壮年男性で、彼がいつもと変わらぬ朴訥とした口調で仕事の毒をさらっと吐きながら酒の入ったグラスを呷るのが、その常連さんのいつもの光景で、アルコールを摂取しながらガス抜きをしているその光景が、オフィスでは出せない「影」の顔を見せてくれるニヒルな会話が、僕はたまらなく好きだった。
彼との会話は楽しかったし、バーに訪れる常連さん達も好きだったし、店も好きだった。ただ、この頃の僕は生きる意味を喪失していた。ただひたすらに、死にたかった。ただ食べるためだけに、1日14時間も“接客モード”というペルソナを被る仕事から、下心丸出しのサラリーマンがホステスを口説くのを延々と見せつけられる日常から、映画監督になりたいという夢に敗れた自分自身から、とにかく逃げたかった。人生に意味なんてないと本気で思っていた。社会人になって1年余経った頃、いつもどおり仕事を終えて帰宅した僕は、台所の薄暗い蛍光灯の下で、スーパーで買った1000円ちょっとの包丁を手首に押し当て、死のうとしていた。
大学受験という勉強から逃げ出して専門学校に逃げ込み、専門学校で繰り返される惰性的で受動的な授業から逃げ出し、映画監督になりたいという夢にも破れた当時の僕には何もなかった。空っぽだった。生きる意味がないのなら、別に死んでも何も変わらないんじゃね? 本気でそう思っていた。
包丁を手首に押し当てると、日焼けしていない青白い肌に薄っすらと血が滲み、ふと両親の顔が頭をよぎった。一人息子の僕が死んだ後の両親を想像すると、死にきれなかった。いや、それは体の良い言い訳に過ぎず、僕には結局、自害する勇気すらなかったのだ。人を殺す気魄もなければ、自害する度胸すらない。その「何も無さ」に気がついて、自己嫌悪がいや増した。
仕事から帰宅して台所で包丁を見つめる日々がしばらく続いた。そんな折、プーさんのような容姿の彼からLINEが来た。
「音楽聞く?」
「聞きますよ!」
今から死のうとしているのに、しっかり1分以内に返信し、感嘆符まで付けて感情を担保している自分に自嘲がこぼれた。「何やってんだろ、俺…」死にたい自分と思考停止で仕事モードに入る自分が、量子もつれのように乖離し、浮遊していた。
「これ聞いてみ。明日店行くから」
1分以内に返した僕のLINEに数秒で返信が来て、この人、寂しいんだろうなと、死にたいモードの自分が客観視し、仕事モードの僕が「とりま聴いてみます!」と返信を打ち込んでいる。
そうしてプーさんから送られてきたApple Musicのリンクを飛んだ先にあったのが、メガデスだった。
歌詞は英語だし、キーキーうるさいし、風邪にかかったような鼻声のヴォーカルだし、何の曲か分からなかった。けど、こんな激しい音楽がこの世にあることを、僕はこの瞬間はじめて知った。何かに取り憑かれたように超人的な速度でかき鳴らすギターリフ、肺腑を震わせるブラストビート。何の曲なのか、何を歌っているのか、さっぱり分からなかったけど、曲に宿った強烈な「殺意」だけは痛いほどに理解できた。
なに? なんで自分のストッパーかけてんの? え? 世の中に不満あるんでしょ? なんで怒らないの? 怒っていいんだよ? てかそのモヤモヤ抱えたまま、どうするつもりやったん自分? 俺らこんなに世の中にブチギレてんのに、なんでお前死のうとしてんの? 怒れよ。殺せよ。モヤモヤしてるの、全部ぶっ殺せよ。俺ら見てみろよ。キレたら駄目とか、誰基準よ、それ。ムカついてんだろ? 殺せ。怒れ。戦えよ。
BPM90ぐらいのチルでムーディーでポップな音楽しか聴いたことのなかった僕にとって、初めて触れたヘヴィ・メタル、メガデスの楽曲は自分の置かれた状況すべてを肯定してくれる気がした。死のうとしているのは「逃げ」だった。どうせ逃げるなら、殺意むき出し・生存本能むき出しで闘ってから死ねと、英語の歌詞で意味も分からなかったけど、メガデスの楽曲は僕をそう焚き付けていた。
キレていいんだな。死ななきゃ何してもいいんだな。激烈を極めるメガデスの代表アルバム『』を聴きながら、僕は知らぬ間に自縄自縛していた自己を解放していた。気づけば、自意識が芽生えた思春期の頃からずっと、常に他人の目を気にしていたような気がする。高校の教室では、本心では陽キャたちを羨望しながら、自分はオタクだというちっぽけなアイデンティティに依拠し、社会人になってからは上司や会社にどう思われるか、いかに迷惑をかけないかに腐心してきた。自分の居場所がない、人生に意味がない…そうやって、真綿で首を絞めるように、じりじりと自分を追い込んでいたのは僕自身だった。
「メガデスやばくないですか!? トルネード・オブ・ソウルズの終盤1分ぐらいのギター・ソロ、なんであんなの考えつくんですか? 初めて聴いた時マジで脳みそ焼き切れそうになったんですけど」
半分はサービス混じりの接客トークで残りの半分は本心で翌日、僕はプーさんにメガデスに初めて触れた衝撃をカウンター越しに熱く語っていた。
そこからは早かった。メガデスを起点に、ヘヴィ・メタルの主要バンドをほぼすべて聴き、僕はメタルに夢中になった。仕事をしている以外の時間、寝る時も、風呂に入っている時も、スーパーで買い物している時も、出勤/退勤時も、僕はつねに爆音でヘヴィ・メタルを聴くようになった。メタルを聴いていないと、また希死念慮に襲われそうで、その恐怖を打ち消すために、僕は爆音でメタルを聴き続けた。
結局、そのあと数年の間に、2回ほど「死にたい…」という発作的な衝動に駆られたのだけど、その時僕を救ってくれたのはやっぱり音楽だった。最初はメガデス、2回目はメタリカ、3回目はフー・ファイターズ。
バンドは異なれど、音楽の持つ治癒効果に、その言語を超えた肌感覚的なメッセージ性に僕は救われてきたのだと思う。そもそも、メタリカの存在を知ったのはメガデスを通してだった。テクニカルな演奏が持ち味のメガデスを最初に聴き、Apple Musicのレコメンド機能でメタリカの存在を知った僕は、初めてメタリカの「Nothing else matters」を聴いた時、「なんやこのヌルい曲」という感想しか抱かなかった。メタルといえば激しさ/激烈さこそ至上であり、マスターベーション的なギターリフこそメタルの本懐だと、当時の僕は信じて疑わなかった。
そうして、ファーストインプレッションが最悪だったメタリカの名曲『Nothing elese matters』に、数年後僕は救われた。希死念慮に襲われ、2度目のリストカットを試みていた時、『Nothing elese matterd』=他のことはどうでもいい。という歌詞を聴いているうちに、「あ、死ななきゃ何してもいいんだった」という思いが湧き、生きることした。
3度目の希死念慮に捕らわれた時も、似たようなものだった。ウイスキーをガブ飲みし、酸欠寸前のように顔を真っ赤にしながらセトリを歌い上げるフー・ファイターズのライブパフォーマンスをYoutubeで観ているうちに、「あ、生きよう」と思えた。
歌詞の意味も、曲・アルバムのテーマも、後日調べてようやく「ふぅーん」程度の感想しか抱かなかったけれど、いずれにせよ音楽によって僕は救われた。
初めて希死念慮に駆られて時から10年を経た今、僕はかつてのようにヘヴィ・メタルに依存はしていない。チャペル・ローンも聴けばSIAも聴くし、藤井風も、Vaundyも、アニソンもボカロも聴く。かつてのように仕事中以外のすべての時間、ヘヴィ・メタルを爆音で聴かなければ生きられないほどのナイーブさは、もう無い。アヴィーチーやアラン・ウォーカーの電子音楽でしか表現できない美しさに感じ入り、活動再開したマイ・ケミカル・ロマンスやリンキン・パークのタフネスに感動し、時折思い出したようにメタリカを聴いている。
自己嫌悪や外部環境への不満をヘヴィ・メタルという音楽に託つけて反発するフェーズはとっくに過ぎていて、30路に差し掛かった今の僕は、J-POPや北米/英国のヒットチャートを聴きながら、殺意と寛容の間で揺れ動き続けている。本当の強さとは「優しさ」であり、そうは言っても言葉の通じない相手がこの世の中には一定数たしかに存在して、そういう連中には剥き出しの殺意で立向かえばいい、というヘヴィ・メタルとオルタナティヴの折衷案ような生存戦略を取れるほどには自己分析ができるようになった。
思えば、自意識が芽生え始めた頃から常に音楽があった。
ミレニアム時代のオルタナロックからヘヴィ・メタルを経由し、POP/EDM/オルタナティヴへと変遷した僕の狭隘な音楽史は、音楽と共に生きてきた僕自身の経歴書なのかもしれない。
かつてモービーは言っていた。
音楽は実態を持たない唯一の芸術形態だ。
言語も文化も国境すらも超越する音楽とは一体なんなんだろう。
完全にリラックスしている時、静寂を埋めるためだけに音楽を流す時、気がつけばYoutubeで2000年代のエロゲ/アニメソングを再生してまう僕は何なんだろう。
言語や論理を超越した魂レベルで共鳴するアンセム──すべての音楽とは、言語を超越した言語、剥き出しのプリミティブな感情なのかもしれない。
音楽=心的態度 変遷 ボカロ、歌い手 Sum41 メタリカからフー・ファイターズ チャペル・ローン、藤井風
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