お盆
死は別れじゃない
「灰皿どこ行ってん…」
お盆休み、半年ぶりに新大阪駅に降り立った僕の口から、思わず漏れた一言がそれだった。
新大阪駅の新幹線のホームを降りると、すぐ目の前に申し訳程度の狭隘な喫煙ルームが用意されているのだけれど、休暇シーズンには長蛇の列ができる。たかが一服するためだけに、どうして並ぶ必要があるのか。アホらしい。だから僕は帰省時、新大阪駅に降り立つたびに、駅舎の喫煙ルームにできた長蛇の列を嗤笑しながら、駅舎の外にある喫煙所へ向かう。駅舎の外、ロータリーに設置された喫煙所は目立った案内表示もないためか、いつ利用しても比較的空いていることが多いからだ。同じ規格・同じ色に統一された没個性的なタクシーが居並ぶ新大阪駅のロータリー。そこに喫煙所があった。今までは。
いつもの習い性で駅舎を出ると同時に着火・一服した僕の目の前にあるのは灰皿ではなく、デザインセンスの欠片もない万博マスコットキャラクター、ミャクミャクの掲示板だった。その掲示板に禁煙マークをプリントした注意書きが貼られていた。
「ここでタバコを吸わないでください」
「じゃあ、どこで吸えと?」
内心、喧嘩腰で食って掛かる僕を宥めるように、くだんの注意書きの隣に喫煙所の位置を記した案内図が記載されていた。
「⇒徒歩200m」
「舐めとんな…」
案内に従って炎天下の中200m歩きタバコすると、駅舎の端部、御堂筋線の線路の脇に新設された喫煙所はあった。
クソ暑い中キャリーケースを牽引して200mも歩いた僕の上半身はすでに汗ばんでいて、お気に入りのTシャツが上半身に吸い付く。新設の喫煙所で紫煙を吐き出しながら、新大阪駅のランドマーク、ダイキンの温度計を見つめていると、ようやく帰省したという実感が湧いてきた。
年始に帰省した時には、ロータリーに喫煙所があったというのに、たった8ヶ月で万物が流転していた。
変化していたのは喫煙所だけじゃない。新大阪駅の新幹線のホームには万博オフィシャルショップなるものが出店していて、「こんなもん、誰が買うねん」と内心毒づいていたら、これがけっこう並んでいて開いた口が塞がらない。新大阪駅からJR線で大阪駅へ、大阪駅で環状線に乗り換えて天王寺へ。その道中・車中の至る所に万博関連のポスターが掲載されていて、評価は毀誉褒貶しているけれど、それなりに盛況そうで安心する。大阪駅北側の再開発はいつの間にかすっかり完工しているし、JR大和路線の車内アナウンスは印旛ウド需要を意識したのか、新録した英語音声に変わっている。たった8ヶ月で、すべてが変わっていて、久方ぶりに帰省した身には、それらの変化が新鮮で、それと同時に言いしれぬ哀しさが込み上げた。
目まぐるしく移り変わる変化に少なからずショックを受けた僕は、最終目的地のJR大和路線 王寺駅のホームに降り立った。万博一色に染まった大阪とは打って変わって、王寺駅のロータリーは幼少期の原風景そのままの姿でそこにあって、その何も変わってない「変化してなさ」がすごく心地良い。
こうして、僕のお盆休みが始まった。
お盆──先祖の御霊が帰って来る、というだけの理由で日本全国が一斉に社会機能を停止し、那由多の人間が家郷めざして民族大移動を開始する。「盆と正月ぐらい」という定型文が示すとおり、よほどのブラック企業か休暇シーズンを繁忙期とするサービス業でもないかぎり、「お盆」くらいは休暇を取ろう、というのが社会通念として浸透している。冷静に考えてみれば卦体な話だ。
ご先祖様の霊魂が帰ってくるから、僕たちも故郷へ帰省する。ご先祖様の御霊を自宅に迎え入れ、感謝し、供養する。そのために、日本国民が一斉に民族大移動を始める。
「お盆」のルーツはインドの仏教説話に遡る。釈迦の弟子である目連(もくれん)が、餓鬼道に落ちた亡き母を救うため、釈迦の教えに従って僧侶たちに供物を捧げた。この「目連救母」のエピソードが中国から日本へ伝来し、日本の土着的な先祖崇拝と癒着したことで現在の「お盆」の慣習は確立された。
初詣や年越し蕎麦と同様、「お盆」もまた、そのルーツに自覚的な現代人など少数派だろう。当初の目的も意義も希薄化し、行為だけが習慣として根づき、今日まで連綿と受け継がれてきた「お盆」──盂蘭盆会(うらぼんえ)
目的も意義も失って尚、かくも多くの人間を一斉に動かすことができる「習慣」の力が空恐ろしい。微々たる水滴が長大な時間をかけて岩盤を削り、鍾乳洞ができるように、遠大な時間何度も何度も繰り返されてきた集積の結晶。幾星霜の時を経て、時間によって鍛造され、ルーチンとして固着化したもの。それが習慣だ。それはロマンティックな見方をすれば、遠大な時の試練を経た先達たちの遺産であり、ニヒリズム的な見地に立てば、「ただなんなとく、そういうもんだから」という惰性的な動機からマジョリティが取る行為である。
習慣は、圧倒的大多数が従う。習慣から逸脱した者は好奇の目で見られがちだ。そういう点で、習慣とはある種の規範と言える。
考えてみれば、この社会には規範(ルール)が無数にある。エミー賞など海外の賞を総なめにした“海外”ドラマ『SHOGUN 将軍』でアンナ・サワイ演じる鞠子様は、コスモ・ジャーヴィス演じる異邦人 按針に言う。「この国には無数のルールがある。すべてに意味が内包されている」と。
お盆休みの中日、僕は両親と一緒に神社に参拝した時に、そのセリフを思い出した。
奈良県御所市にある一言主神社。一言主神社は全国津々浦々に点在しているが、奈良県御所市にある一言主神社はその総本山だ。奈良盆地の端部、葛城山の麓に位置する。山を越えれば大阪府 河内長野市がある。一言主大神──その名のとおり、一言だけ願いを叶えて下さる、という神様が祀られている。
父が停めにくい駐車場に愛車を駐車すると、目の前にクセのある書体で大書された注意書きが目に入った。
「鳥居をくぐってからお参りしてください」
鳥居は本殿とは真逆の方向、駐車場から少し離れた場所にあって、降車した僕たち家族3人は注意書きに従って駐車場を本殿とは逆方向に戻っていく。わざわざ戻って鳥居をくぐる。僕は浅学だから神道に明るくないのだけれど、わざわざ駐車場の目に付く場所に神社の関係者が注意書きを掲げているのは、長い歴史に基づく伝統=習慣=規範=ルールがあるからだろう。
鳥居をくぐってからお参りすること。鳥居をくぐる時は一礼すること。鳥居の右側を通る時は右足から、左側を通る時は左足から踏み出すこと。お賽銭を入れて二礼二拍手一礼すること。御神籤を引くときは、参拝時にその旨を神様に伝えること等等。神社ひとつ、神道ひとつとっても目に見えない無数のルールがあって、それら一つひとつに歴史に裏打ちされた確固たる根拠が用意されている。鞠子様の言うとおり、日本とはルールの国なのかもしれない。
家族揃って本殿に参拝すると、母が思い出したようにぽつりと呟いた。
「御神体が一段高い場所に祀られてる神社って、“格”が高い神社なんやって」
「へぇ、そうなん?」
「そうらしいで。本に書いてあった」
「ふぅーん」
神社の境内に設置された案内板に書かれていないトリビアを母が披瀝し、それに対して、僕が気のない返事を返す。齢60を超えて尚、少女のような繊細さと感性を持ち合わせた母は神道や仏教が大好きで、その手の本を乱読しているのだ。寺社仏閣を巡るたびに、母はそういう本で得たトリビアを僕に教えてくれる。僕が本を読み始めたのも、本が好きなのも、母の影響だと思う。おそらく母は、物語や神様や仏様といった、目に見えないもの、想像力を介さないと触れられない領域に惹かれているのだと、実家を出て、母と距離を置くようになってから初めて気がついた。
一言主神社の境内には、参拝の順番が丁寧に掲示されていて、僕たち家族3人はその順番に従って参拝した。参拝の順番にも「決まり事」がある。どこもかしこもルールだらけだ。
エスカレーターに乗る位置だって、近畿圏とりわけ大阪近郊は右側、それ以外の全国は左側という不文律がある。どうして大阪だけ右側なのか。これには諸説あるが、その一説によると、20世紀の大阪万博の時に国際仕様を踏襲したからだ、ということらしい。ホンマかいな。
エスカレーターのルールひとつとっても、歴史がある。過去の中に根拠があり、現在という習慣がある。時間を超えた因果関係。それが習慣だ。僕の実家では、家族全員が入浴を済ませないと、お酒を飲まないというルールがある。最初に父が入浴し、途中から母が入り(そう、還暦を過ぎても僕の両親は混浴している。これが僕はすごく微笑ましくて、愛おしい)、最後に僕が入る。そうして、家族全員が風呂に入り終わるまで、父も母も缶ビールを開栓しない。
「はよビール飲みたいから、はよ風呂入って」
こうして文字にすると論理的に無茶苦茶なのだけれど、これが夕飯時の母の常套句だ。
ふだんは意識しないだけで網目のように張り巡らされた数々のルール。エスカレーターのような日常空間から寺社仏閣という非日常空間、さらには各家庭の中にも無数のルールが敷き詰められている。
そんな遍在する規範=ルールを改めて考えさせられたのは、お盆休みの終盤、四天王寺にお参りした時だった。
4年前、祖母が亡くなった。気難しくて、変わり者で、つねにタバコを手放さなかった祖母。女手一つでぼくの母を育てあげ、何度も離婚と再婚を繰り返し、晩年は株式投資に血道を上げていた祖母が大好きだった。いや、祖母が好きだという情念をはっきりと自覚したのは、祖母が亡くなった時だった。愛情も、気遣いも、お小遣いも、百科事典並みのバリエーションで不平不満文句を並べ立てながら犬の散歩を僕の代わりにやってくれたことも、深夜まで映画を見ていると心配して声を掛けてくれたのも……何もかも与えてもらってばっかりで、結局、祖母には何も「お返し」することができなかった。
軽度の認知症を発症してから老人ホームに入った祖母は、死ぬ間際までタバコを吸い続け、孫の僕に「今度はいつ会えるんや。はよ顔見せてや」と繰り返し言っていた。けど、COVID-19のパンデミックが起きて、祖母の居る老人ホームに行くことが難しくなった。20歳から都合6年間努めたバーテンダーからゲーム会社のシナリオライターに転職した僕を、祖母は言祝ぎ、新居用にと100万円を僕の口座に振り込んでくれた。結局、その御礼を直接伝えることもできないまま、祖母はあっけなく帰らぬ人となった。
何もかも、与えてもらうだけで、結局なにも祖母に「お返し」できなかった。その強烈な後悔が湧いてきたのは、祖母の骨壺を抱いて霊柩車に乗っている時だった。霊柩車の車内から見た、慣れ親しんだ地元の風景。どこに目を向けても祖母の姿が、祖母の記憶があった。祖母とも二度と会えないのだという実感が、この時はじめて湧いた。物心ついた時からずっとそばにいて、日常の光景と同化していた祖母の存在が、こんなにも大きかったのだと、失って初めてわかった。もう会えないという冷徹な現実が、痛いほど胸に突き刺さった。祖母に愛着が湧いたのは、祖母が亡くなってからだと思う。Amazonオリジナルドラマ『ザ・ボーイズ』でメインキャラクターのひとりMMが言うセリフ。
「オヤジのクセが嫌いだった。 日曜学校が終わってから、アイスクリーム屋に行くのが習慣だった。 オヤジは店に並んだアイスクリームを全部味見するんだ。 どんだけ人が並んでいようがお構いなしさ。 オレはオヤジのそのクセが大嫌いだった。 けど今は寿命を1年削ってもアレが見たい」
初見時は素敵なセリフだな、程度にしか感じなかったこのセリフが、祖母の葬儀を経て、確かな実感を伴って胸にすとんと落ちた。今の僕は、自分の寿命を削ってでも、祖母に会いたい。
帰らぬ人となった僕の祖母の遺骨は、四天王寺に埋葬された。
実家に帰省するたびに、僕は母とふたりで四天王寺にお参りする。
大阪は天王寺区に位置する四天王寺。あべのハルカスや高層マンションが林立する整理された区画の中に、広大な寺院がある。洗練され、近代化された都市空間と寺社仏閣が同居する様は、なんだか不思議な感じがするけれど、絶対面積が狭い東京ではよく目にする光景だ。ただ、四天王寺の場合、その敷地がアホみたいに広い。しかも、あろうことか、境内の中に四天王寺という同名の学校があるのだから驚嘆する。祖母の“推し”だった宝塚スター柚希礼音も四天王寺高校の出身で、祖母自身も四天王寺高校の卒業生だ。祖母の実家は四天王寺のすぐ隣にあった。祖母にとって、四天王寺界隈はパーソナルな意味を帯びた場所なのだ。
四天王寺には「経木流し」という供養がある。経木という木の板に先祖の御霊の戒名を書き、お坊さんに念仏を唱えてもらってから、その経木を亀の形をした水に流す、というものだ。なぜ亀なのか。なぜ、亀の形をした溜水に経木を流すと供養になるのか。僕は浅学だから知らない。だが、これも四天王寺の歴史と伝統──遠大な時間を経て築かれた伝統に基づく実行手順《プロコトル》。だから僕はそれに従う。ここにもルールがあり、規範がある。
先祖の御霊の戒名を経木に書く行為は、先祖の御霊の戒名を書いた小冊子に基づいて行われる。自分が会ったこともない遠い先祖の戒名が10人も記された小冊子。死者の名簿。四天王寺に参拝し、母が死者の名簿を取り出すたびに、僕はそこに書かれた顔も知らぬ遠い先祖に思いを馳せる。
数ヶ月前、今年最高の創作物《クリエイティブ》と出会った。小島秀夫監督のゲーム『デス・ストランディング2』である。依頼人に荷物を運ぶ──ゲームとしては“配達”ゲームなのだけれど、用意された世界観はおよそゲームの範疇を超えていて、つまるところ「死者と生者」の世界観なのだ。
生きている人間は、死者に祈ることしかできない。残された者は、旅立った死者に祈ることで自己を慰め、肯定する。そうして、不可逆的な「死」と折り合いをつけることで、ようやく前に進むことができる。『デス・ストランディング2』で用意された世界観は、この死者とどう折り合いをつけるのか、という遠大な問いを孕んでいて、依頼人に荷物を届けるというゲームを成立させる、その動機づけのためだけに、かくも深遠な世界観を用意する小島秀夫監督の手腕に、僕は直近数年で一番感動した。
おそらく、今年の残り、どの映画を観ても、ドラマを観ても、僕は『デス・ストランディング2』と比較して、そのたびに絶対的な完成度の高さを再確認することになるのだろう。『デス・ストランディング2』をプレイして以降、映画を観てもドラマを観ても、感覚が麻痺しているせいか、たいした感動がない。心の躍動がない。それほどまでに『デス・ストランディング2』という作品は完成されている。いや、完成され過ぎていると言っても過言ではない。
『デス・ストランディング2』の劇中、何度も反復されるメッセージ。「死は別れじゃない」──そう、死は別れじゃない。もう二度と会うことは叶わないけれど、死者の魂は、僕たち生者を見守っている。僕たちは、それを感じることも触れることもできないけれど、死者の魂はつねにそこに居て、僕たちを見守ってくれている。自然の成り立ち・法則を余すこと無く記述した万物理論を構築可能な量子コンピュータが実現されれば、それが実証可能になるかもしれないけれど、哀しいかな今の僕たちに死者の魂を感じ取ることはできない。それでも、死者が、死者の魂が僕たちを見守っていると、そう信じることができるのは、人間の想像力が働くからだ。
人間は想像力を介して死者と繋がることができる。
四天王寺の経木流し──亀の形をした水たまりに戒名を記した経木が流れていく様を見て、僕はふと思った。夏のアルバイトで雇われたであろうネイルと化粧が印象的な若い女の子2人が、長い棒を使って経木を溜水に押し流す。これで死者を供養できると信じることができるのは、そこに人間の想像力が働いているからだ。
おそらく人間は古来より、そうして想像力を媒介することで死者と触れ合おうと、目に見えない、もう帰らぬ人に追い縋ろうとした。想像力を介した死者とのコミュニケーション。目に見えないものに触れようとする、時空を超越したコミュニケーション。それは生者の魂と想像力を媒介する。
20歳前後の若い女の子が機械的な手つきで押し流す祖母の戒名が書かれた経木を見つめながら、僕は想像力を介して祖母と繋がっていた。想像力を介して日常から、現実から離脱し、別の世界に思いを馳せる。それは映画や小説、ゲームといった創作物に触れた時の体験と通底する。想像力を介して、「ここではないどこか」に意識を飛ばす──暴論すれば、すべての人間はひとつの“物語”であり、死者の魂とは、永遠に終わることない物語のエピローグなのかもしれない。
そんなロマンチシズムに過ぎる思いに駆られながら、実家を後にした僕は東京の自宅に帰っていく。この文章は日暮里から発車した京成線の中で書かれている。徹底的に合理化/効率化され、意味化された記号が集積した東京の街並み。所狭しと蝟集する住居/ビル/商業施設/人──それらを望む東京スカイツリー。かくして僕は「日常」に戻っていく。
あと何回、両親に会えるんだろうか。お盆と正月。1年に2回会うとして、10年間で20回。会う前は色々と話ことが浮かぶけれど、いざ実家に帰ると「うん」とか「ふーん」とか、言葉ですらない生返事しか出てこない、この理想と現実の落差が隔靴掻痒このうえない。あまりにも長い時間を過ごした両親となら、こうした生返事ですら言外のコミュニケーションが成立してしまうから始末が悪い。
溢れんばかりの思いに反して、口をついて出る言葉はその100分の1以下で、その歯がゆさを噛み締めながら、お盆休み中に感じたこと・思ったことを忘却したくなくて、この文章を書いている。親子関係とは、こんなものなのだろうか。兄弟のない一人息子の僕には、分からない。いや、この生返事でコミュニケーションを成立させようとすることそれ自体が、大人になった僕の、親に対する「甘え」なのだろうか。
年末年始、帰省する時までには、自分なりに答えを見つけたいと思う。
明日から、日常が始まる。郷愁に後ろ髪を引かれるけれど、これも「甘え」なんだろうか。
だとすれば、僕はまだ全然「おとな」になりきれていない。
すべてを忘れてしまったら存在しないも同然だ。記憶と忘却、それを我々は想像力と呼ぶ。
ボルヘス
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